<Canon EOS-1N EF17-35mm f/2.8L USM FUJIFILM Velvia 1999.2.5 撮影>
1999年2月3日から2月9日まで穂高に雪山作品撮影に行きました。
どうしても行かないといけない場所があったのです。
それは横尾尾根の三ノガリー2050m地点です。(ガリーとは尾根に突き上げる谷の名称)
33年前の今日である12月26日に同志社大学山岳部の冬山合宿中に雪崩に巻き込まれた地点です。
9名のうち7名は完全に埋まらなかったのですが、私と同級生の石部正彦君が完全に埋没しました。
私は雪の中で酸欠で薄れていく意識の中で死を覚悟して失神しました。
私は約30分後に1.2mの赤旗の竹棒で奇跡的に発見され人工呼吸で息を吹き返しました。
その後、2時間捜索するも友の石部君はみつけられず、
雪崩再発による二重遭難の危険が迫っていたので已む無く撤退となったのです。
その翌日からこの写真の徳澤園冬期小屋が同志社大学山岳部OB捜索隊の基地となり、
一番心身にダメージを受けてると判断された私はひとりこの電話のある小屋で連絡係になり、
ほとんどの時間をこの部屋で薪ストーブの炎を見て過ごしました。
12月28日に石部正彦君は2.5mの雪のなかから遺体で発見されました。
それから雪崩そうな斜面を必要以上に恐れ恐怖心がある私にとって、
積雪期の谷(ガリー)に入ることは精神的に無理でした。
ずっと「あの三ノガリー2050m地点に行くのは無理」と思っていましたが、
乗り越えられるなら行ってみようと出かけた山頂を目指さない山行でした。
なんとか2050m地点にたどりつき、その後は当時と同じく横尾冬期小屋に泊り、
次の日に徳沢園冬期小屋のこの部屋に滞在するためにここに泊りました。
長らく話すことも辛くて人に出来なかった話も、
友の石部正彦君が生きた証にしていきたいとやっと数年前から思うようになりました。
これからこのブログに山の話も書いていきます。
<追記>2014年3月まで冬期管理人が常駐していた徳澤園冬期小屋は管理人の手配が出来なくなり廃止となったそうです。
2014年夏に携帯電話(3種)がつながるようになり「ひとつの役目は終わったかな」(引用)とのことです。
お世話になった徳沢園さんのも心から感謝申し上げます。
http://www.tokusawaen.com/2014/09/post-322.html